なぜ文章を最後まで読まれてファンになっていくのか?
もしも、遊園地が義務教育の学校だったら
もしも、歯医者が、抜歯後、イケメンと話すカフェだったら
あなたは、登校や通院を嫌がるだろうか?
そんなことはないはずでしょ?
いやだと思っていてもいくでしょ?
じゃあこの仕組みってなに?
なんで、いやがらずいくのか?
そして、また来たくなるのか?
それには理由がかならずあるんだよ。
実はあるものに注目する必要がある
それは、読者が本質的に学ばないといけないことと
表面的にえたいものとは、違いがあるということ
どういうこと?
例えばさっきの例
「学校はいくたくないけれど、学ばないといけないとわかっているもの」
「遊園地で楽しみたい」というもの
これらって別々だと思っているでしょ?
でも違う
実は、これらは組み合わせることができる
これを公式にするとこういうことになる
「気づき in 楽しさ」
(子供の心の中(本心)に大人の心)
こういう例がある
NTKの教育番組とバラエティの教育クイズ番組
たとえ、同じことを学ぶにしても、どっちをみたいとおもう?
もちろん真面目に、勉強したいっていう人もいるかも
しれないけれど
クイズ番組の方をみない?
お年寄りだって、もし、笑点のような番組が
教育番組のようなものだったらNHKよりそっちのほうがいい
アイドル系オタクなら、アイドルの番組
アニメ系なら、アニメで学べば当然
勉強なんかくだらないとはならない
本も同じ、歴史は実は、漫画やゲームで覚えると
とても、頭に中に入ってくるし、また読みたいと思うよね?
勉強とは受動的に受けるものではなく、能動的に
学びたいと思って受けるもの
さらに、また勉強したいと思うときっていうのは
どんなときか?
それは自己成長につながったと思ったとき
未知の自分に出会ったとき
その正体が
「気づき」
これが、文章、セミナー、講義になった場合
読者や受講者にとって「深み」というものに姿を変える
その入り口が
「興味」という入り口なんだよ
これが、また、読みたい
続きを聞きたいというものの正体
入り口を興味のあるもの
出口を深い気づきにしたとき
これらを融合したとき
あなたの文章そして講義の魅力は最大化していく
学校や教科書がまるでエンターテイメントに感じてしまう
子供も大人も笑顔にかわった世界を作ることができるのだ
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